鹿児島で陶芸やってます。ときどきデザインの仕事もしてます。
by しきこ
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カテゴリ:【短歌・俳句の質問】( 6 )
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2007年 12月 12日 *
さえら先生レシピ有り難う御座いました。いつも字余りを避けて窮屈な感じで作っておりました。初歩的な質問ですが、字余りについて教えて下さいますか。

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センセイのコメントです。

♪ RYOUKANさんへ

字余りについて

俳句や短歌は、短詩のなかでも、とりわけ調べ(韻律)をだいじにして発展をつづてきました。
俳句なら五・七・五、短歌なら五・七・五・七・七のリズムです。
こうした韻律におさまったのは、おそらく、わたしたち日本人の耳に心地よいリズムであったことがおおきく関係していると思われます。

わたしたちは、このリズムを利用することで、言葉のもつ印象をよりおおきくひろげ、句や歌の世界へとひとのこころを誘うことができるわけです。

ただ、このきまりにばかりこだわっていると、言葉がぎくしゃくしたりすることがあります。
その場合は、かたくなに文字数あわせをしなくてもいいのではないでしょうか。

古歌のなかにも字余りにしたことで、(リズムがゆったりとし)のどかな感じをあたえ、成功している作品がみられます。
このあたりの感覚は、やはり、経験によるものなのでしょう。
つまり、それは、より多くの作品にふれ、自らもたくさんの作品を詠んでいくことで、自然に身についてくる感覚だということができるかもしれません。

                                                さえら

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2007年 11月 14日 *

たかだかみそひともじの世界で、同じ言葉が重複することってかなりの確率でありうると思うのですが、そうした場合のパクリ、盗作問題はあるのでしょうか?
言語学とは離れた問題ですが、こうした場合の著作権みたいなとこで、ご存じの部分があれば教えていただきたく思います。

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センセイのコメントです。

♪ じゃじゃさんへ 

【さえらメモ:短詩の盗作問題】
短歌や俳句も著作権をもっていることはいうまでもありません。
ただ、いずれも短詩であるがゆえに、じゃじゃさんが懸念されているような「盗作疑惑」や「パクリ」といった問題がおきてしまうことをさけることはできないようです。

著作権について、わたしは専門ではありませんので、くわしく述べることはできませんが、作品を創るという立場で意見を述べるならば、創作の際に「盗作」や「パクリ」の意図が作者にあったかどうかが、その基準になるのではないかと思います。

つまり、意図せず、結果として似たような作品ができてしまったのは「盗作」や「パクリ」にはあたらないのではないかということです。

それを職業としている歌人や俳人が著作を出版する際に、どこかで他者が似たような作品を発表していないかをチェックするのは、ありうることですが、趣味として詠んでいる場合には、それほど気にする必要はないのではないでしょうか。

ちなみに、和歌や連歌の技巧のひとつに「本歌取り」というものがあります。
これは、すぐれた古歌や詩の語句などを意図的に取り入れる表現方法で、たんなる「パクリ」とはちがうものです。
むしろ、それは、オリジナル作品への傾斜や尊敬の念が含まれたものということができます。

                                                    さえら

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2007年 09月 19日 *
さえら先生に質問ですが 面白い俳句を見つけました。

黛まどかさんの本で 知っておきたいこの一句” の100ページにある
竹下しづの女さんの句  「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨マオ乎」
 
マオの部分の漢字がパソコンで探せなくてカタカナにしました。
このように下の句が全部当て字のような 表現は技法としてあるのですか?
この本では 簡単に意味を書いてあるだけで 技法については書いてありません。
気になります ほかにも面白い技法があれば教えてください。

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センセイのコメントです。

♪ ぺたんさんへ
たしかに興味深い句ですね。

    短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎

この句の下五に置かれた「須可捨焉乎」は「すてっちまおか」と
読みますが、じつはこれ、当て字ではなく漢文なんですよ。

竹下しづの女さんは、教師の経験もあり、日ごろから漢文に親し
んでいたことが知られていて、それが作句にも生かされたという
ことなんじゃないかとわたしは考えています。

   寝苦しい夏の夜、幼子が乳をほしがって泣きやまない。
  (じぶんも泣きたいくらいで)いっそ捨ててしまおうか…

といった意味のヒステリックな感じの句ですが、下五を上五・中
七の流れで「捨てっちまおか」と口語にせず、漢文をつかったと
ころに、現実を一歩はなれた視点や諧謔性を感じさせ、鑑賞者に
救いをもたらしているような気がします。(ただ、竹下しづの女
さんご本人が、それを意識していたかどうかはわかりません)

これは、いつもわたしがお話ししている「じぶんの言葉で詠む」
ということの、ひとつのいい例だと思います。
そのひとならではの言語感覚が、他のだれかのなかで発見や感動
となって伝わっていく。わたしは、そうしたことが、言葉の世界
をひろげているように思うんですが、いかがでしょうか。

                                   さえら

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2006年 09月 15日 *
『句・織・亭』のほうで質問したものをこちらへ転載しました。


     しんとして 色なき風の 街を刷き    さえら


↑この「色なき風」が、秋の季語 とのことでした。

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【質問】

「色なき風」が、秋の季語だと知り、調べたらありました。
この季語というものは、昔の歌人とか俳人が作ったものなんでしょうか?
また、季語というのは、自分たちで作っていけるものなんでしょうか? 

                                           しきこ

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センセイのコメントです。


♪ しきこさんへ

季語は、時候(季節、「九月=長月」など月ごとの呼び名)、天文(気象)、地理(山、川、海など)、人事(生活)、年中行事、忌日(有名なひとの)、動物、植物、食べ物に分類されます。

ここで、ちょっと俳句の歴史を…

一般的に俳句と呼んでいますが、芭蕉のころ、つまり、江戸時代は、まだ「俳諧」と呼ばれていて、「俳句」と呼ぶようになったのは明治以降、子規がそう呼びはじめたといわれています。

なお、文芸として「俳諧」が確立されたのが江戸時代ということで、ひとびとのあいだで五七五の短詩が詠まれるようになったのは室町のころです。(それまでは、貴族の文化でした)

そうした背景のなかで、冒頭の分類(もちろん、はじめから分類されていたわけではありません)にそって、それぞれの季節にふさわしい言葉が季語として成立していったわけです。
そのなかには、有名な俳人や歌人が作品のなかで詠んできた言葉も数おおくふくまれています。


さて、季語を「自分たちで作っていけるもの」なのかという質問ですが、わたしたちがつねに未来へとむかってすすんでいるかぎり「季語はふえつづける」ということを答えとしたいと思います。

わたしたちは、日々、新しい情報やできごとと出会っているわけですから、「いま」を表現しようとすれば「新しい季語」が必要になるわけです。
おおくのひとたちと共通の概念をもつことのできる言葉もふえてきています。たとえば「バレンタインデー(2月・春)」「サーフボード(夏)」などがそれです。

ただ、「季語はふえつづける」とはいっても、「わたしは、秋にポッキーを食べるのが好きだから、ポッキーを秋の季語にします」などという、ひとりよがりなことはできません。
季語としてつかう言葉は、すくなくとも、大半のひとが「あっ、これって秋によくやるよね〜」と、納得できるものでなければならないのではないでしょう。

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2006年 07月 30日 *
【質問】

言葉尻というか、語尾の使い方が分からないのがありますので質問させてください。

①「♪夏は来ぬ」とかで使われる、「ぬ」は、例えば「落ちぬ」であれば、「落ちる」ということですが、「落ちない」の意味で使いたい場合 「落ちぬ」としたら、どうなるんでしょうか?

②例えば、「美しからむ」の「からむ」、 「積たる」の「たる」 などのように、現在 私たちがあまり使わないところの言い回しというのは、たくさんの歌に触れることによって 身についていくものなんでしょうか?
それとも、覚え方というものがあるのでしょうか?

③例えば、最後の言葉(七)を 「~届く」で 意味は通じるのに、「~届くも」というように、「も」を付けるとどのような効果があるのでしょうか?

上の三つの言葉の使い方というか、どういう時に使っていいのか、分からないのですが、これは やはり 長い間 俳句・短歌に親しんでいくことにより、自然に使えるようになるんでしょうか?

 
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【答え】

①「来ぬ」という動詞の現在完了形は、現代日本語ではつかわれていない古典の文語(書き言葉)用法です。「落ちぬ」も同様だと考えてください。否定形は「来ず(こず)」「落ちず」となります。
現代では、ふだん目にしたり耳にしたりすることはありませんので、現在完了形というのは、感覚的にわかりにくいものかもしれません。

また、書かれた時代や前後の文章のながれによっても、その解釈にちがいがでます。
たとえば、『宵待草』の歌詞「待てどくらせどこぬひと」は発音もちがいますが否定形ですし、「鳴かぬなら」の場合も否定形として「ぬ」がつかわれています。

これらについては、学校や専門書などで勉強する以外では、数多くの作品にふれることで、経験的におぼえていくのがいちばんの方法といえるでしょうか。
(なお、「来」は、唯一のカ行変格活用動詞で特殊な存在)


②古語の言い回しについても、上記とおなじことがいえるのではないかと思います。とにかくたくさんの作品にふれることです。


③「も」は終助詞で、詠嘆をあらわします。詠嘆とは、感動している状態を伝えたり、歌の余韻をのこすなどの役目をします。これをつけると、つけないとでは、“気分”がかわるわけです。


言葉の言い回しに文語や古典の用法を取りいれることで、句や歌に深みのようなものが生まれるのはたしかですが、じぶんの身につくまでは、「じぶんの言葉」でつくっていくことがだいじだなのではないでしょうか。
そこにこそ、そのひとが詠う意味があるのではないかと思います。


            ↑ この4行 大事だからね!  by しきこ
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2006年 07月 24日 *
※本日よりカテゴリの追加をしました。【質問】については、質問したいことをうまく言葉で表現できてないところが多々ありますので、そこは私の気持ちをくみ取りつつ 読んでください。


【質問】

辛苦越ゆ 君が歩みに 陽のさして 花もほころび 笑む母もあり   

「辛苦越ゆ」ですが、この場合 「辛苦越え」とすると、過去形になるんですよね。
「ゆ」の場合、「越えたら・・・」「越えたあとは・・・」ということでいいのでしょうか?
それとも、「越えつつある」という感じですか?


気がつけば 知らず指折る 我れのあり 水無月の花 色変ゆるとき  

「色変ゆるとき」の『ゆ』を『え』に換えて、「色変えるとき」にしても意味合いとしては同じでしょうか?
この場合は、音の響きがきれいになるから、『ゆ』を使われているんですか? それとも、意味合いが多少違うんでしょうか?



【答え】

いずれの「ゆ」も、日本語の文語文法における動詞の活用のひとつで、下ニ段活用といいます。(古文などでののつかい方です)

①「越ゆ」は、終止形で、「辛苦」をおわったもの(過去のもの)にしたいとの思いを込めました。気持ちのうえでは「~たら」「~つつある」と、この場合は、とらえていただいてもよいと思います。

②「変ゆる」は、連体形で、体言「とき」とつながることで、ひとつの文言をつくります。おっしゃるように「変へるとき」としてもよかったんですが、ご推察のとおり、音のひびきを優先しました。

しかし、この「ゆ」「ゆる」は、つかい方がとてもむずかしいので、みなさんが取り入れる場合には、じゅうぶんご注意ください。



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【質問】

上の「変へるとき」というような旧かなづかいは、例えば「言う」を「言ふ」とかもありますが、現在私たちが使うかなづかいと、使い分ける決まりみたいなものはあるのでしょうか?

それとも、せつない状況とか、悲しい場面に使用すると、より短歌が生きてくるんでしょうか?

それとも、短歌ではほとんど 旧かなづかいにするんでしょうか? さらに、俳句でも同じことがいえるのですか?



【答え】

大家の先生たちは、わたしの考えに、文句もおありかと思いますが、旧かなづかいにする理由は、はっきりいって“気分”です。^^
旧かなづかいにすることで、独特の情緒や重厚感が生まれると思われるような場合、短歌や俳句にかかわらずに、つかっているというのが、わたし流といえるでしょうか。

また、「ヴァイオリン」を「小提琴」、「シャンペン」を「三鞭酒」と書いたりするのも、意識的につかえば雰囲気がでて効果的です。
そのほか、アルファベットや外来語(カタカナ)をつかってモダンに仕あげてみようという“気分”のときもあります。

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