鹿児島で陶芸やってます。ときどきデザインの仕事もしてます。
by しきこ
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2007年 06月 30日 *
本日 窯出し。 目新しいもの特になし。

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そこそこ評判の良かった花瓶ですが、さっぱり売れる気配なし・・・・と、思ってたら、やっと10個ほど注文をいただきました。
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2007年 06月 30日 *
ぺたんちゃん、久しぶりの投稿です。そして、記念すべき20作目です。

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久しぶりに 詠んでみました。 
先日鹿本町の白磁竜山窯の若きご夫婦と いまが見ごろの古代蓮の話になりました。 古墳がたくさん点在する周辺の様子に わくわくしました。


        鴇色に パチンとはじけた 古代蓮      ぺたん


さえら先生 日本古来の色でしか表せない風景や描写にとても惹かれます。
蓮といえば 蓮の実のお菓子や料理、葉を使ったおこわしか浮かばない私が若き陶芸家の話を聞いてるうちに古代蓮が浮かんできました。 レシピよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ぺたんさんへ

古代蓮といえば、関東では、千葉の大賀蓮や埼玉の行田蓮が有名です。遥かむかしから、開花への思いを秘めて眠りつづけてきた蓮の種。ロマンを感じますね。

それでは、レシピです。

蓮の花が開くときには音がする。そんな神秘的な言い伝えへの思いが込められたすてきな句ですね。
「古代蓮」に「鴇色」という日本の伝統的な色の呼び名をあわせてきた点にも趣きがあると思います。

この句のなかで、わたしが気になったのは、中七の「パチンとはじける」のつよさです。
わたしには、この表現が、上五の「鴇色」や下五の「古代蓮」にくらべ、ちょっぴりおてんばに感じられました。(あくまでも、個人的な印象です)ということで、わたしは、ご参考までに、つぎのように詠んでみました。


            鴇色に ぼぉんとほどけた 古代蓮


中七を、わたしなりに、やわらかな表現にしてみました。
こうしたことで、句全体の言葉のトーンがととのったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

                                              さえら


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2007年 06月 29日 *
ピロシキさん、私が言うのもナンですが、なかなかの才能の持ち主です。
というわけで、「俳人1号」の称号を与えたいと思います。
ちなみに、“愛人” としては、6号あたりですので、ご了承くださいませ。

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つい最近まで人や機械が忙しく動き回っていた田んぼも、田植がすむと人や機械が姿を消し、今では穏やかな時間が流れています。

   
         青空に 幼き苗の 並び居り      ピロシキ


「田」に映った青空なのですが「田」がうまく入りせんでした。入れても説明的になりそうだったので「青空に」とだけしてみました。「並び居り」も最初は「居並びて」だったのですが「偉そう」な感じがしたので「並び居り」にしてみました。

さえら先生、しきこさん、お忙しい中、立て続けの投稿で申し訳ありません。田植を含めた「水田」周辺の風景が好きなもので、つい・・・。 さえら先生、レシピよろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ ピロシキさんへ

ふるくから農耕と深くかかわってきた、わたしたち日本人。ふだん目にすることがなくても、水田のある景色には、どこかなつかしいものを感じてしまいますね。

それでは、レシピです。

水がはられた田のおもてに映る青空、整然とならぶ苗。目の前に、すがすがしい風景がうかぶようです。
俳句の勉強をされたことがおありなのでしょうか。今回もまた、作法どおりの句になっていると思います。

この句のなかで、わたしが気になったのは、中七の「幼い苗」という表現。「苗」は「(種子が芽をだした後の)幼い草木」のことをあらわしますので、これでは二重表現になってしまいます。

それをふまえて、わたしは、つぎのように詠んでみました。


          鏡田の 空に早苗の 並び居り


課題となっていた中七の「幼い苗」は「早苗」と変えました。
上五に置いた「鏡田(かがみだ)」は、水がはられ、その表面が鏡のようになった田が、風景などを映すようすをあらわした言葉です。

もとのままでも、田の水面に映った「青空」だということが想像できますが、こうしたことで、ピロシキさんが、「田」を入れようとした試みも実現できたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
                                           
                                            さえら


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レシピを拝見するごとにセンセイのすごさを思い知らされビビッてます。^^;
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2007年 06月 26日 *
りょうかんさん、なんと お題以外では初投稿となります。テーマは得意分野の「恋」だの「愛」だのです。

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お題以外で初投稿してみたいとフッと思いました。さえら先生お忙しい事とは存じますが、レシピ宜しくお願い致します。


    長椅子の 真ん中あたり バッグ置く 

               まだまだ遠い 君との距離
    RYOUKAN


ドライブの最中とか・・並んで座る時、ドーンと間にバッグとかを置かれると、何だか超えられない結界の様に感じてしまうのは僕だけでしょうか?憎からず想っている相手だと特に。・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ RYOUKANさんへ

今回は、はじめての個別投稿ということで、わたしも緊張しています。しかも、テーマが「得意の『恋』だの『愛』」なので、なおさらです。^^

それでは、レシピです。

ひととひととの微妙な関係。そして、そこに生まれる複雑な思い。ふたりのあいだに置かれたバッグに、こころの距離を投影させたところがおもしろいと思いました。

この歌のなかで、わたしが気になったのは、第三句の「バッグ置く」が、相手の行為なのか、じぶんの行為なのか、ちょっとあいまいな印象になってしまっていることです。(歌だけを判断材料にした場合、「置かれ」などのように受け身になっていないので、詠み手(つまり、じぶん)の行為としてとらえられる可能性が高いかもしれません)

そこで、わたしは、つぎのように詠んでみました。


      長椅子の 真ん中あたり バッグ置く 

                   君のこころの 境界線か



下の句をすべて変えてしまいましたが、RYOUKANさんの後段のコメントから発想したものですので、イメージは、それほど遠くないのではないかと…
また、こうしたことで、第三句の行為が「君」の行為であることが、ちょっとだけわかりやすくなったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 
                  
                                                  さえら


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まさしくセンセイの下の句のとおりです。って、なんで私が答えられるのか分かりませんが・・・・。^^;

※本日の一句・・・・「皮革より 鋼鉄製の バッグ持ち」
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2007年 06月 25日 *

 
    しあわせの 続きは明日に とっておく

               一時停止は ハートのボタン
     しきこ


楽しい時間はあっという間に過ぎます。この幸せな時間を切り取って明日に回せたら・・・と、思いました。上の句だけでもいいのかな?とも思いましたが、いつものように短歌にしました。センセイよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ しきこさんへ

じぶんの好きなことをしている時間はとてもみじかく感じるのに、いやなことをしている時間は永遠のようにながく感じますよね。
でも、物理時間は、どちらもおなじようにながれている。こころのあり方で変化する時間感覚って、ふしぎですね。

それでは、レシピです。

この歌に詠まれている思いは、男女を問わず、共感できるものではないでしょうか。あっというまにすぎてしまう楽しい時間への名残惜しい気持ちがよくあらわれていると思います。
こころにうかんだ思いが素直な言葉でつづられていて、わたしがなにかする必要はなさそうです。
あえて指摘するとすれば、歌全体のながれが、すっきりしすぎているということでしょうか。

ということで、その点を考慮し、ご参考までに、わたしは、つぎのように詠んでみました。


     しあわせの 続きは明日に とっておく 

                  一時停止の ボタンはハート



結句にあった「ハートのボタン」の言葉を置き換え「ボタンはハート」として、歌に“ひっかかり”をつくってみました。
また、「ハート」をさいごにもってくることで、「ハート」がさらに強調され、こころの状態によって変化する時間感覚を詠んだ歌であることがより明確になったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
                                                さえら


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うーん、恐れ入りました。ただ単に ハートの形をしたボタンということで、 「ハートのボタン」としたんですが、「ボタンはハート」としていただいたことで、「こころ」「気持ち」というのが、強調されました。(時間感覚という言葉 初めて知りました。)
それにしても、この「楽しい時間」というのは、彼氏と一緒にいる時間ではないと、バレてしまいましたね。さすがです。^^

※本日の俳句道 4級に上がりました。
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2007年 06月 22日 *
こちらの平野部では代掻きや田植えが盛期を迎えたようです。
広い田んぼではトラクターや田植機や農家の人達がせわしなく動きまわっています。
その同じ田んぼでシラサギが水面に浮かんだ虫をついばんでいるのですが、ときおり片足を上げたまま動きを止め、じっと水面を見つめているときがあります。


        シラサギの 泥田に映る 孤影かな      ピロシキ


さえら先生よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ ピロシキさんへ

シラサギは、そういう名の鳥がいるのではなく、何種類かの白いサギをまとめて、そう呼ぶんだそうですね。
その美しいシラサギも、ざんねんながら、宅地化や農薬の影響などで数が減っているんだとか…。(心配ですね)

それでは、レシピです。

上五の「シラサギ」の白と中七の「泥田」の濃茶のコントラストが美しい句で、芒種をすぎた、いまごろの時季にふさわしい作品だと思います。
俳句をたしなんでいる方が詠まれたような、まさしく作法どおりの句になっていて、わたしがなにかする必要はないようです。

ただ、句として、もうすこし情緒をだそうとするならば、つぎのようにしたほうがいいかもしれません。


           白鷺の 泥田に映る 孤影かな


上五の「シラサギ」を漢字にしてみました。
カタカナは、学名をイメージさせ、なにか味気ないような気がしますし(または、カタカナにカジュアルな印象をもつひとも…)、ひらがなでは、下五の「孤影」のつよさにまけてしまうと考えたからですが、いかがでしょうか。
                                             さえら


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うーん、素晴らしいですね。私もセンセイのレシピを楽しみにしてただけにうなってしまいました。これからのピロシキさんの作品 ますます楽しみです。
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2007年 06月 21日 *
  
    雨音の テンポが少し 遅れだし

             カエルの声が いきおいを増す
    しきこ


ザーザーと降ってた雨が少し弱くなったら、今まで雨音で聞こえなかったカエルの鳴く声が一斉に響いてきました。センセイどうぞよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ しきこさんへ

雨音などの自然の音を、日本人は左脳で、欧米人は右脳で受けとめているんだとか…。
つまり、わたしたちは自然の音を声(言語野における論理的処理)としてとらえ、かれらは単なる物音としてとらえているということなんですね。
もしかしたら、それは、わたしたちと自然との関わり方の歴史に理由があるのかもしれません。

それでは、レシピです。

気づいたそのままが詠まれていて、「雨音」から「カエルの声」へとつながっていく音の情景がみえてくるようでした。
しきこさんのピュアな部分を感じさせる、かわいい歌で、わたしがなにかするまでもないようです。
とはいえ、レシピなしというわけにもいきませんので、ご参考までに、わたしは、つぎのように詠んでみました。


      雨音の テンポが少し 遅れると 

                カエルの声が ボリュームあげる



まず、第三句の語尾を「〜ると」として、上の句と下の句のつながりをつよめました。
そして、結句には、第二句にあった「テンポ」の周辺の言葉(音楽関連の用語)として「ボリューム」という語をつかってみましたが、いかがでしょうか。

                                            さえら


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ありがとうございました。実は、私も 「テンポ」とつながりのある言葉を考えてみたんです。
カエルの声を 「“ ド ”の音で鳴く・・・」とか考えたんですが、的外れな言葉かも?と、諦めました。
「ボリューム」とは、さすがセンセイです。
私の場合 いつも 第三句の助詞がイマイチです。上の句と下の句の流れに注意したいと思います。

※本日の「ここ大事だから書くように!」・・・・“ しきこさんのピュアな部分を感じさせる、かわいい歌 ”

※思い出したように続ける本日の俳句道ですが、とりあえず 5級ということで・・・。
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2007年 06月 20日 *
今年のスイカはまだこんなもんです。アナグマに食べられなければいいのですが・・・。
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ちなみに去年は見張りを立てたのにもかかわらず、ほとんどをアナグマにやられました。

この役立たずの見張りたち↓
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2007年 06月 19日 *

やっと梅雨入りして、ようやく先日のお題「梅雨」気分になれそうです。


        雨の中 パラソルの花 軽やかに      ピロシキ


雨の日、街角のスクランブル交差点で信号が変わると、色とりどりの傘が一斉に動き始めます。
それを見るといつも映画「シェルブールの雨傘」のオープニングの傘のシーンがテーマ曲とともによみがえりちょっと甘酸っぱいようなせつないような気分になります。
さえら先生よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ ピロシキさんへ

戦争によって引き裂かれた恋人たち…。
わたしは、レンタルのDVDで観みましたが、「シェルブールの雨傘」って、やっぱり、せつない物語ですね。(それにしても、カトリーヌ・ドヌーヴさんは美しい。^^)

それでは、レシピです。
ピロシキさんがおっしゃっているように、スクランブル交差点の信号がかわり、傘をさしたひとたちがいっせいに動きだすようすは、まさにあの映画のオープニングのようですね。

今回の作品からも、そうした情景があざやかにうかんできました。
ただ、この句のなかで、わたしが気になったのは「パラソル」という語。
というのも、「パラソル」は、「para(防御)」+「sol(太陽)」を語源とする「日傘」をあらわす語で、ざんねんながら「雨傘」の意味にはならないからです。

そこで、わたしは、つぎのように詠んでみました。


           雨の中 舞う傘の花 軽やかに


下五の「軽やかに」にかけて、中七を「舞う傘の花」と変え、上五〜中七〜下五のつながりをつよくし、句全体にながれをつくってみましたが、いかがでしょうか。
              
                                       さえら

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2007年 06月 18日 *
「俳句・短歌を作る作業は、自分の内面と向き合う作業」 この言葉の意味が最近よく分かるようになりました。(もちろん作品の出来は別にして・・・)

短歌を紙に書いたりブログに書き込んだりした後も その歌がまた自分の心の中に戻ってきて、いつまでも居続けます。


    梅雨空に 放った言葉が 向き変えて

               ココロの真ん中 居座っている
    しきこ


初句が なかなか浮かばず 苦し紛れに 「梅雨空に」としましたが、このことで 短歌としての意味合いが変わってしまったのでは?と心配です。センセイ よろしくお願いします。久しぶりに変貌覚悟です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[追記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センセイのコメントです。

♪ しきこさんへ

日々の「自分の内面と向き合う作業」のなかで、生まれてきたものにはすべてに意味があるのだと思いますし、意味を見い出していくことが、それを生みだした自分自身の責任なんだという気もします。(ほんとうにむずかしい。けれど、楽しむこともだいじ。きっと、それが自分の人生を充実させ、楽しむことにつながっていくはず…)

それでは、レシピです。

しきこさんが「言葉」を通じて、自分自身と対話し、内面をみつめようとしていることを感じました。
この歌のなかで、わたしが気になったのは、結句の「居座っている」という語です。(この「居座る」には、いい印象がないのが一般的)この言い方ですと、「言葉」が「自分の心の中に戻って」きたことで、なにか迷惑を被ってしまったような感じがしてしまいます。

そこで、わたしは、つぎのように詠んでみました。


      梅雨空に 放った言葉が 逆もどり 

                 ココロの真ん中 居続けている



結句は、しきこさんのコメントにあった『「居続け」ている』とし、第三句は、「言葉」が「向き」をどこに「変えた」のかを明確にするため「逆もどり」としてみましたが、いかがでしょうか。
気にされている初句ついてですが、この歌を詠んだときの気分が「梅雨空に」としたい気分だったということでかまわないと思います。(たとえば、歌のイメージがかなりかわってしまいますが、初句を「大空に」としたい気分のときもあるのではないかと…)
           
                                                 さえら


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センセイのレシピを見て、「そうそう、これを詠みたかったの!」です。すっごく気に入りました。
実は、昨夜 この短歌を書き込んだ後も、ずっと気になっていました。
それは、自分としては 「短歌・俳句の言葉」のつもりで 作ったんですが、このどう見ても 「嫌な言葉」のイメージしか浮かばなかったのは、「居座る」という言葉がそう思わせたんですね。
それから、「向き変えて」も ちょっと違うな?と、思ってました。「逆もどり」でピッタリきます。ありがとうございました。m(__)m
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