2007年 12月 12日
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さえら先生レシピ有り難う御座いました。いつも字余りを避けて窮屈な感じで作っておりました。初歩的な質問ですが、字余りについて教えて下さいますか。
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センセイのコメントです。
♪ RYOUKANさんへ
字余りについて
俳句や短歌は、短詩のなかでも、とりわけ調べ(韻律)をだいじにして発展をつづてきました。
俳句なら五・七・五、短歌なら五・七・五・七・七のリズムです。
こうした韻律におさまったのは、おそらく、わたしたち日本人の耳に心地よいリズムであったことがおおきく関係していると思われます。
わたしたちは、このリズムを利用することで、言葉のもつ印象をよりおおきくひろげ、句や歌の世界へとひとのこころを誘うことができるわけです。
ただ、このきまりにばかりこだわっていると、言葉がぎくしゃくしたりすることがあります。
その場合は、かたくなに文字数あわせをしなくてもいいのではないでしょうか。
古歌のなかにも字余りにしたことで、(リズムがゆったりとし)のどかな感じをあたえ、成功している作品がみられます。
このあたりの感覚は、やはり、経験によるものなのでしょう。
つまり、それは、より多くの作品にふれ、自らもたくさんの作品を詠んでいくことで、自然に身についてくる感覚だということができるかもしれません。
さえら
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センセイのコメントです。
♪ RYOUKANさんへ
字余りについて
俳句や短歌は、短詩のなかでも、とりわけ調べ(韻律)をだいじにして発展をつづてきました。
俳句なら五・七・五、短歌なら五・七・五・七・七のリズムです。
こうした韻律におさまったのは、おそらく、わたしたち日本人の耳に心地よいリズムであったことがおおきく関係していると思われます。
わたしたちは、このリズムを利用することで、言葉のもつ印象をよりおおきくひろげ、句や歌の世界へとひとのこころを誘うことができるわけです。
ただ、このきまりにばかりこだわっていると、言葉がぎくしゃくしたりすることがあります。
その場合は、かたくなに文字数あわせをしなくてもいいのではないでしょうか。
古歌のなかにも字余りにしたことで、(リズムがゆったりとし)のどかな感じをあたえ、成功している作品がみられます。
このあたりの感覚は、やはり、経験によるものなのでしょう。
つまり、それは、より多くの作品にふれ、自らもたくさんの作品を詠んでいくことで、自然に身についてくる感覚だということができるかもしれません。
さえら
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